幽霊子育飴のいわれは、
今は昔、慶長四年京都の江村氏妻を葬りし後、数日を経て土中に幼児の泣き声あるをもって掘り返し見れば亡くなりし妻の産みたる児にてありき、然るに其の当時夜な夜な飴を買いに来る婦人ありて幼児掘り出されたる後は、来らざるなりと。此の児八才にて僧となり修業怠らず成長の後遂に、高名な僧になる。寛文六年三月十五日六十八才にて遷化し給う。
されば此の家に販ける飴を誰いうとなく幽霊子育て飴と唱え盛んに売り弘め、果ては薬飴とまでいわるるに至る。洵に教育の上に、衛生の上に此の家の飴ほど良き料は外になしと今に及んで京の名物の名高き品となれりと云う。
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